中村紘子 50年のあゆみ

~1969 1970~1979 1980~1989 1990~1999 2000~2009
1980年
5月、「東京音楽芸術祭」に出演。N響と共演して、2晩に6曲のピアノ協奏曲を演奏する。3600人収容のNHKホールを2晩とも満員にし、話題になる。
1981年
5月、モスクワ・フィル定期演奏会出演を含むソ連演奏旅行
「プラハの春」音楽祭に出演
日中文化交流の音楽使節団のメンバーとして中国を初訪問
1982年
2月、ニューヨーク、カーネギー・ホールでアメリカ交響楽団と矢代秋雄のピアノ協奏曲を再演して絶賛を浴びる
6月、東ドイツ各地でリサイタル。ドレスデン・フィルとも共演し、ショパンのピアノ協奏曲第2番を演奏
「チャイコフスキー国際コンクール」ピアノ部門の日本人初、かつ最年少の審査員を務めて話題になる
1983年
10月、名指揮者エフゲニー・スヴェトラーノフに率いられたソビエト国立交響楽団と共演。チャイコフスキー、ラフマニノフのピアノ協奏曲を演奏して、聴衆のみならず指揮者からも絶賛され、ソビエト国立響の定期演奏会への招待を受ける
1984年
25周年
40回の国内公演、その後、オランダで公演
7月、ロンドン。名指揮者アナトール・フィストラーリ指揮のロンドン交響楽団とショパンのピアノ協奏曲第1番、第2番をレコーディング。続いて、バービカン・センターで第2番を演奏して大成功を収める
9~10月、東ドイツへ楽旅。ライブツィヒの新ゲヴァントハウス、ベルリンのシャウシュピールハウスほか、各地でリサイタル。また、ドレスデン・フィル定期演奏会に出演
11月、東京文化会館でデビュー25周年記念コンサートを行う
1985年
1月、ベルリン。ベルリン国立歌劇場管弦楽団定期演奏会(ジークフリート・クルツ指揮)に出演、モーツァルトのピアノ協奏曲第24番を演奏
続いて、モスクワでスヴェトラーノフ指揮のソビエト国立交響楽団定期演奏会に出演、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を演奏
6~7月、チェコ・フィルの日本公演のソリストとして全国各地で共演
12月、イタリアとチェコスロヴァキアへ演奏旅行。リサイタルのほかチェコ・フィルとスロヴァキア・フィルの定期演奏会に出演
1986年
1~2月、ズデニェック・コシュラー指揮のスロヴァキア・フィルの日本公演のソリストに招かれ、モーツァルトとラフマニノフの協奏曲を演奏
6~7月、モスクワ。「チャイコフスキー国際コンクール」ピアノ部門の2度目の審査員を務める
1987年
2~3月、東ドイツへ演奏旅行。ライブツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と共演、またベルリンほかでリサイタルを行い絶賛された
ポルトガルの「ヴィアナ・ダ・モッタコンクール」、スペインの「パロマ・オシアコンクール」等の審査員を務める
9月、東京クヮルテットと全国各地で共演
10月、ロンドン。オットマール・スウィットナー指揮のロンドン交響楽団と共演、レコーディングを行う
 
彼女は絢爛たる技巧と溢れる情感、そしてロマンティックな音楽への親和力(アフィニティ)を持っている
…1987年、ハロルド・ショーンバーグ著『偉大なピアニストたち』より
1988年
1~2月、ヘルシンキ・フィルの日本公演のソリストとして全国各地で共演
6~7月、スウィットナー指揮のベルリン国立歌劇場管弦楽団の日本ツアーで共演
ベルリン・フィル八重奏団と日本各地で共演
10~11月、チェコ・フィルと日本各地で共演。この年は3つの来日オーケストラのソリストに招かれ、リサイタルを併せて年間100回以上の演奏を行う
1989年
30周年
2月、ニューヨーク・メトロポリタン美術館でリサイタル
4月、初の著書『チャイコフスキー・コンクール』(中央公論新社刊)が第20回「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞。コンクールを通して見た音楽界の流れ、日本人の精神文化論に多くの読者より絶賛を浴びる
「ルービンシュタイン国際ピアノコンクール」の審査員を務める
9月、プラハ。プラハ交響楽団の定期演奏会に出演、ショパンのピアノ協奏曲第1番を演奏する。10月にはブラティスラバ音楽祭で再びプラハ交響楽団と共演
その後、ヘルシンキでヘルシンキ・フィルと共演。またリサイタルも行い、各都市で絶賛を浴びる
11月から翌年1月にかけてデビュー30周年記念コンサートを東京で3回行い、大きな話題を集める
 
あたかもロケットを爆発させたような左手の動きは、非常にエキサイティングであった
…米国「ニューヨーク・タイムス」紙
50周年記念ツアー
50周年記念アルバム
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